平安の貴人たちは同時に、顔に白粉(おしろい)を塗り、歯を黒く染める化粧をしていた。 このお化粧の”三点セット”で高貴の身分を示そうとしたのだが、とりわけ高いところに移された眉で、高貴な楕神を誇示しようとしたのだといえそうだ。 8 мар. 2001 г.
お歯黒や眉そりなぜ?
江戸時代には、公家を除いて武将のお歯黒は廃れました。 一方、江戸時代の庶民の女性は、結婚すると“夫に貞節を尽くす”ため、眉を剃って歯を黒く染めました。 お歯黒を塗る時、液を温めるとくさい臭いがするため、既婚女性は朝、夫が起きる前に塗りました。
公家 おしろい なぜ?
時代が流れ平安時代になると、貴族の間では白粉を塗って顔を白くする文化が生まれます。 これは、当時貴族が暮らしていた寝殿造りの建物が影響しています。 昼でも薄暗い室内だったために、白くすることで顔が美しく映えるようにとの工夫だったようです。 白粉は高価だったので、白粉化粧をすることは、貴族の地位の象徴でもありました。
引眉 なぜ?
中国文化の影響から白粉を始めたのだろうが、当時、眉毛を抜いたり剃り落としたりする「引き眉(ひきまゆ)」という習慣があった。 これは表情を読まれないためというよりも、眉毛のせいで白粉が浮くことを防ぐのが主な目的だったようだ。
引眉 いつまで?
明治時代 文明開化以降はお歯黒とともに衰退し、明治時代中期にはほとんどみられなくなった。