3000年以上昔からいた宦官 宦官は中国のみの風習というわけではない。 エジプト、ギリシャ、ローマといった地中海世界、トルコや朝鮮にも見られたが、なかでも中国では、しばしば国政を揺るがすほどの大きな存在となった。 29 мар. 2020 г.
後漢の都 どこ?
これ以降を後漢(ごかん)という。 中国では、長安を都にした前漢を西漢、後漢を東漢と言うことが多い。 後漢は、都は長安ではなく洛陽においた。
宦官の歴史は?
宦官のはじまり ~世界中にいた宦官~ 宦官という存在は、もともと男性の奴隷の性器を切り落とす「刑罰」(中国では宮刑と呼んだ)から始まったといえる。 後に異民族に限らず、捕虜や罪人に対して行なわれるようになった。 刑罰の種類には鼻削ぎや耳削ぎ、顔面への入れ墨などがあったが、その中でも打ち首に次ぐ重い罰が宮刑だった。
朝鮮王朝の宦官は?
朝鮮王朝においては内侍府が置かれ、宦官が任用された。 内侍府は高麗から継承された職制で、高麗では貴族の子弟が内侍に任用されたが、朝鮮では宦官が任用された。 この時から朝鮮では「内侍」が宦官の別称となり、現代韓国・北朝鮮にも至っている。 朝鮮の宦官は1894年の甲午改革で宦官制度は廃止された。
宦官の役割は?
宦官はその身体的特徴から、神の権威を一身に集める皇帝・ 王やその後宮などで仕える。 宦官は中国史上非常に重要な役割を果たす存在であり、しばしば皇帝の選定や廃位に影響を与える など、強大な権限を振るい王朝衰退・滅亡の要因とも指摘される。