日本で初めて火葬が行われたのは700年(飛鳥時代)だといわれています。 ただ、当時の火葬は特権階級のみが行える埋葬方法だったため、庶民に広がることはありませんでした。 鎌倉時代に入ると火葬が一般庶民にも普及し始めますが、火葬には技術が必要であり技術発展も見られなかったため火葬と土葬の両方が用いられていました。 26 авг. 2021 г.
土葬 いつから?
土葬の歴史は古く、縄文、弥生時代は屈葬(くっそう)と呼ばれる身体を折り曲げた状態で埋葬されたり、古墳時代、飛鳥時代には古墳と呼ばれる大きな墓に埋葬されたりしていましたが、鎌倉時代には、浄土宗や浄土真宗の普及により、火葬も広まっていき、土葬と火葬の2つの埋葬方法が混在するようになりました。
なぜ土葬から火葬になったのか?
火葬が増えたきっかけは、土葬の費用が高いという点だと言われています。 また、故人の住居よりはるか遠い土地で死を迎え、帰省するまでに時間を要する場合などに火葬が用いられることもあります。 また、火葬によってできた遺灰を、故人が好きだった土地へ撒く散骨という埋葬方法が増えていることも、火葬が増加している理由の一つです。
なぜ死体を焼くのか?
火葬は仏教由来の文化であり、遺体を火葬することを「荼毘(だび)に付す」とも言います。 仏教の思想では魂は肉体に宿るのではなく、死後は新しい肉体へ輪廻転生するものと考えられています。 インドでは古くから遺体を灰になるまで焼いて、灰は川に流す文化があるのはこのためです。
仏教 火葬 いつから?
鎌倉時代には庶民にも火葬が広まる 当時は墓地などに浅い溝を掘って、石や土器などで火床を作った火葬場が作られていました。 鎌倉時代に浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗など鎌倉仏教が庶民に普及すると、庶民へも火葬が広まっていきました。 この頃の火葬は、野原に薪を積み、その上に遺体を置いて焼く野焼きでした。